札幌高等裁判所 昭和51年(う)181号 判決 1976年11月11日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中五〇日を原判決の本刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人村岡啓一提出の控訴趣意書(当審第一回公判における釈明部分を含む。)に記載されたとおりであるから、これを引用し、当裁判所はこれに対し次のように判断する。
所論は要するに、原判決は、本件において北海道銀行中央市場支店の「武和水産代表小野一男」名義の普通預金口座へ振込入金の取扱いがなされた金二二八万九、九四六円について、有効に預金債権は成立しておらず、したがつて被告人(有限会社武和水産の経理事務担当者)に右金員の払戻請求権はないから、被告人の本件所為は詐欺罪を構成する旨判示したが、本件の事実関係のもとにおいては、右振込入金につき被仕向銀行たる北海道銀行中央市場支店に過失はないから預金債権は有効に成立しているし(控訴趣意第二)、たとえそうでないとしても、被告人は対銀行との関係で預金の払戻を正当に受けうる地位にあり、また、右金員は振込入金がなされた時点で既に被告人の占有に帰していたとも考えることができる(控訴趣意第一)、したがつて、詐欺罪の成立を認めた原判決には法令適用の誤りがある、というのである。
しかしながら、右の法律上の問題点に関して原判決が「弁護人の主張について」と題し詳細に説示するところは、後記(一)に指摘する点を除き、正当としてこれを首肯しうるところである。以下、所論にかんがみ説明を付加する。
(一) 預金債権の成立について
原判決が確定したところによると、下関魚市場株式会社が北海道銀行八戸支店の「武輪水産株式会社」の普通預金口座へ振込むべき商品代金二二八万九、九四六円につき、誤つて同銀行中央市場支店の武輪水産株式会社を受取人として、山口銀行漁港支店に対して振込依頼をしたため、これがテレタイプにより片仮名で通知され、北海道銀行中央市場支店において「武和水産代表小野一男」名義の普通預金口座へ入金の取扱いがなされたものであり、関係証拠によると、当時同銀行同支店には「タケワ水産」という名称の預金口座は右口座一件しか存在しなかつたことが認められる。
そこで所論は、北海道銀行中央市場支店としては口座の同一性についてさらに調査認定すべき確認義務はなく、同支店が右のように振込入金の取扱いをしたことに過失はないから、下関魚市場株式会社からの振込依頼は、客観的には右「武和水産代表小野一男」の口座に対するものと判断するほかはなく、同口座に預金債権が有効に成立したものである、というのである。
なるほど、本件の誤入金の原因は振込人の錯誤にあり、右中央市場支店には「武輪水産株式会社」と類似の名称をもつ預金口座が「武和水産代表小野一男」の口座以外になかつたことを考えれば、両者の名称が全く同一ではなく「輪」と「和」で一字を異にするうえに、後者の口座名義には個人名が付加されているという差異を斟酌してみても、原判決説示のように、同支店としては入金を留保し、受取人と右口座との同一性を確認する手段をとるべきであつたと解することは、銀行に対していささか過重な義務を課するものではないかとも考えられる。したがつて、右振込入金につき同支店に過失があり、被告人に対する本件払戻につき北海道銀行が免責されないと解することには疑問をさしはさむ余地がある。
しかしながら、振込人たる下関魚市場株式会社が振込もうとした口座は「武輪水産株式会社」という特定された法人の預金口座であつて、それ以外の口座ではない。このような場合に、被仕向銀行(支店)に同一名称の預金口座がないからといつて、振込人において、これと類似した名称をもつ別個の預金口座に振込をなす意思を有していたことになるわけでないのはもちろん、客観的にも、振込人が被振込人の名称自体を誤つた場合や、誤つて被仕向銀行とされた銀行支店にたまたま被振込人と全く同一名称の別個の預金口座があつたという場合ならともかくも、本件のように被振込人の名称とは異なつた名称を有する預金口座である以上は、その口座に対する振込はなかつたものと考えるべきである。所論は、被仕向銀行としては振込依頼の対象たる口座がある限り入金として受入れることになるというが、本件においてはその対象たる口座が存在しないのであり、それが単に振込の原因関係を欠くにすぎない場合と根本的に異なる点なのである。
そしてこのことは、被仕向銀行が振込入金の措置につき免責されるか否かによつて左右されるものではなく、たとえ銀行が無過失として免責される場合であつても、もともとその口座に対する振込がなかつたものである以上は、単に銀行が預金元帳に数字を書いただけのことであつたにすぎず、預金債権は成立する由がないのである。この点に関する原判決の説示は、銀行に過失がない場合には預金債権は有効に成立するという趣旨に解せないでもないが、その趣旨であるとするならば賛成することができない。
したがつて、本件の振込にかかる金員について、「武和水産代表小野一男」を債権者とする預金債権は成立していないといわなければならない。
(二) 払戻請求権について
預金債権が有効に成立していなければ、預金者は銀行に対し預金払戻請求権を取得せず、銀行は預金者の払戻請求に応ずる義務がないことは、原判決が説示するとおりであり、所論もこれを認めるところである。ところが所論は、銀行は振込入金があつた場合にその原因関係が有効であるか否かについて確認する義務は全くなく、預金払戻請求に対しては、預金債権が民事的観念的に成立するか否かとは別個に、その払戻請求者が印鑑届出をしている正当な払戻請求権者か否かという債権の帰属の点を確認し、請求額が預金残高の範囲内である限り請求額を当然に支払うことになる、すなわち払戻手続の実際の運用は、債権の成立につき過誤があつても債権の帰属が判明している限りは払戻請求に応ずるというシステムになつている、したがつて、払戻請求者がその預金口座の権利者であり、かつ請求額が記帳されている預金残高の範囲内である限り、その者は対銀行の関係では預金の払戻を正当に受けうる権限を有するのである、それゆえに本件においては、被告人の欺岡行為は存在せず、銀行側に錯誤はなく、被告人の騙取の故意も欺岡行為と錯誤との間の因果関係も存在しない、というのである。
しかしながら、振込入金の原因関係については、原判決が説示しているように、振込(いわゆる当座口振込)は原因関係と切り離された無因行為と解すべきであるから、振込が原因を欠くものであつたとしても、振込自体には何ら瑕疵はなく、これに基づいて預金債権は有効に成立するのである(所論が、控訴趣意第一の一(三)において、原判決の見解はこれと異なるかのようにいうのは誤りである。)。したがつて、銀行に振込の原因関係が有効であるか否かを確認する義務がないことは当然のことであるが、前に述べたように、本件は当該預金口座に対する振込自体が存在しなかつた事案なのであつて、単に振込の原因関係を欠くにすぎない場合とは全く事案を異にするのである。また、払戻手続の実際の運用については、なるほど通常は債権の帰属の点の確認に主眼がおかれているであろうが、請求額が預金残高の範囲内であることが払戻の前提であることは所論も認めるところであり、その確認は預金元帳の記載の確認によつてなされるのであつて、これはとりもなおさず預金債権の存在について調査確認していることにほかならないのである。ただ、銀行としては預金元帳の記載の確認以上のことはしないのが通常であろうが、それは預金元帳に記載されているにもかかわらずその預金債権が存在していないという事態がきわめて例外的なものであるからなのであつて、もちろん銀行が払戻前に預金債権の不成立を知つた場合には、所論も認めるように銀行は払戻に応ずることはないのである。
したがつて、これらの点を根拠として被告人が対銀行の関係では預金の払戻を正当に受けうる権限を有していたとする主張は、失当であるというほかはない。預金債権が成立していない以上は、いかなる意味でも預金の払戻を正当に受けうる権限は生じないのである。したがつてまた、被告人に右の権限があることを前提として被告人の騙取の故意及び欺岡行為、銀行側の錯誤、欺岡行為と錯誤との間の因果関係を否定する所論も、その前提を欠きすべて失当であるといわねばならない。本件において詐欺罪成立のためのこれら諸要件をすべて肯認しうることは、原判決の確定した事実及び右に述べた法解釈により既に明らかである。
なお、本件における欺岡行為については、預金払戻請求書の提出により、銀行係員をして被告人が請求にかかる金員全額につき預金払戻請求権を有するものと誤信せしめた、という積極的欺岡行為と評価することも、誤入金により預金債権の存否について既に錯誤に陥つている銀行係員に対し、事実を告知しないことによつてその誤信状態を継続させた、という不作為による欺岡と評価することも可能である。そこで所論は、不作為による欺岡だとすると告知義務の存在が前提となるが、銀行には振込の原因関係を調査する義務はないから、被告人にも振込の原因関係の存否を銀行に対して申告すべき義務はないし、また、被仕向銀行は振込人に対して善良なる管理者の立場に立つわけでもないから、信義則上も被告人は銀行に対して何らの告知義務も負わない、という。しかし、再三述べたように、本件で問題になるのは振込の原因関係の存否ではなく、当該預金口座に対する振込自体の存否なのであつて、振込が存在しないことによつて預金債権が成立していないならば、銀行には払戻に応ずる義務はなく、また銀行は払戻をしないことについて法律上ないし事実上の利益を有するのであるから、被告人には当然、自己が預金払戻請求権を有しないことを銀行に対して告知する義務があると解すべきである。そしてこのことは、銀行が振込人との関係で免責されるか否かによつて左右されるものではない。
(三) 占有の取得について
詐欺罪が成立するためには、錯誤に基づく相手方の財産的処分行為によつて財物の占有を取得することが必要である。そこで所論は、入金の取扱いがなされた後は銀行を道具として被告人自身が振込まれた金員を占有していると評価することができるから、本件は詐欺にあたらない、という。
しかしながら、原判決が説示するように、預金に対する占有をどのように解するかは問題のあるところであり、その占有の有無如何によつて犯罪の成否が決せられる場合もあるけれども、本件においては、被告人が預金の払戻しとして銀行から現金の交付を受けたということのみを問題にすれば足りるのであり、その交付された現金自体については銀行から被告人に占有が移転したものであることは疑いのないところである。のみならず、一般に預金者の預金に対する占有を認めるとしても、本件のような誤入金の場合には、銀行はこれを知れば自由に入金記帳を訂正することができるのであるから、入金の取扱いを受けた金員が預金口座の権利者の事実上の支配内にあるということもできないのであつて、その意味でも被告人の占有を認めることはできない。したがつて、所論の指摘する現金自動支払機による払戻の場合も罪とならないものではなく、預金債権が存在しないにもかかわらず、銀行の意に反して現金の占有を銀行から取得したものとして、窃盗にあたると解すべきであろう。
以上の次第で、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りは存在しない。それゆえ、論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数中五〇日を刑法二一条により原判決の本刑に算入することとし、主文のとおり判決をする。
(高橋正之 豊永格 近藤崇晴)